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馬郎婦観音(『望月佛教大辞典』より)

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馬郎婦観音

馬郎婦観音 馬氏の婦に化現せし観音の意。三十三観音の一。法華経顕応録巻下に、陜右の地は唯騎射を習ひて三宝を聞かず。唐憲宗元和4年(一説12年)一美女あり。来りて魚を鬻ぐに、人競うて之を娶らんとす。女曰はく、一夕にして普門品を誦する者
あらば之に帰せんと。即ち能く誦する者二十余輩あり。復た授くるに金剛般若経を以てす、猶ほ十人之を善くす。更に法華経全巻を授け、約するに三日を以てするに独り馬氏のみ之を能くす。仍て女は馬氏に帰せしも、病と称して別房に止り、須臾 にして死す。後数日老僧来り、葬所に至りて衆に謂はて曰はく、此の婦は之れ観音なり、汝等を化せんが為に方便示現せしのみと云へる是れ其の伝説なり。宋代以来馬郎婦観音と称し、其の信仰行はれたるが如く、隆興仏教編年論第22、仏祖統紀第41等に皆此の記事を載せり。又現今細川侯爵家の所蔵に係る絹本著色図は元と大徳寺の什宝にして、中央に一美女経巻を執り、其の紐を解かんとするの状を図し、其の上部月輪中に観音を描き、頭上に二偈を題し、前住公安二聖心月謹識の記あり。心月は恐らく南宋石渓心月なるべく、画は宋末頃の作と認められ、今国宝に編せらる。又後世之を法華経普門品の婦女身示現の説に配し、三十三観音の一となすなり。法華霊顕伝巻下、法華経持験記巻上、観音経持験記巻上、仏像図彙第2等に出づ。